―監督にとって、「より良く生きる」っていうのは、具体的にどんなイメージなんでしょう?
後藤:この現世において、いのちが、形を、身体をもって生まれた、その時点から、そのまま生きられる状況が続いていくこと、ですかね。そうあることが自然なのに、それが難しくなってしまうような状況があるわけじゃないですか、もうずっと昔から。でも、たとえば、数年でも数ヶ月でも数日でも、いのちそのままで生きられる状況が訪れて、本人が、その形をもった姿でのさいごのときに、「自分は今日まで生き切った!」と言えるような……そういう状況を作れたらいいなっていうのがありますね。なんか責任でもなければ、使命でもなく、ただ純粋に、自分もそういう思いで生きていこうとしているからこそ、そういう手助けのような、寄り添うようなことをしたいんですよね。
―映画のタイトルは『Buddhist 今を生きようとする人たち』。「Buddhist」って、「仏教者」という意味ですよね? でも、今回メインで出演されているのは全員お坊さんで……
後藤:いや、ケンカを売るつもりはないのですが(笑)私、今までに本当にたくさんのお坊さんに会ってきたんですね。そんな中で、仏教を、その価値を背負ってっていうか、そういう、お坊さんの役割をちゃんと生きているのかなって、ふと、問いたくなるような人ともたくさん出会って。だから、それこそ、MonkとかPriestとか、僧侶っていう意味の英単語はいろいろありますけど、そういうのは違うな、と。私は、会う人によっては、お坊さんをやっているあなたより私の方が、仏教の価値を信じているはずだ! って、そんな風に強く思うことも多々あって。そういう意味で、タイトルも、Buddhistとして。私自身もBuddhistだし、っていうところで。
―「今を生きようとする人たち」という副題に込められた意味を教えてください。
後藤:それはやっぱり、本当に、「今」を大事にしたいなって。本当に「今」しかないんだよな、って思って。「今」の重なりが明日につながっていくかもしれないし、明日があるかもわからない。でも過去はもう過去。過去があるから「今」があって……。それで、これ、ちょっと前の私だったら、もしかしたら、タイトルも、「今を生きる人たち」にしていたかもしれないとも思うんです。でも、「今を生きる」っていったら、いや、みんな生きているし、ってことになっちゃう。でも、意識的に、本当に、本当の意味で生きようと思っているのかな、っていうところで。この、「今」を生きようとしているのかどうか、っていうのが、とにかく大事なところだと思っていて。その違いを、感じてくださる方は、感じてくださるんじゃないかな、と。
―監督ご自身は「今を生きようとする人」ですか?
後藤:そう……じゃないですかねえ(笑)今の私は、そこでしか生きていけないなあって思っているから。でももちろん、もともとそんな風に生きられていたわけじゃなくて、それこそ今までのご縁や出会いや久高島や仏教に触れてきたすべてが、私をより良い方向へ導き、そして育ててくれたって思うんです。私たちひとりひとりが「今を生きよう」とすることで、自分自身にも、そしてこの世界にも、様々な変化が訪れるはずなんですよ。この映画が、その小さなきっかけのひとつになればいいなって、そんな希望を込めています。
(聞き手:小出遥子)