―「世界」というキーワードで語られるようなお坊さんばかりですね。
後藤:そうですね、前半の3人は。でも、日本で、今起きている問題に向き合ったり、お寺を継いで、その場所でいろんな活動をされたりしているお坊さんが大半なわけで。日本っていう環境に置かれている中で、「これから」に向けて動き出しているお坊さんもいらっしゃるよ、というところで、後半の、吉村昇洋さん、麻田弘潤さん、三浦明利さんにつながっていって。
―なるほど。
後藤:吉村さんは、食、精進料理っていうものを通して、日本の、というか、仏教を通した食文化、精進料理の本当の意味を伝えてくださっているお坊さんですね。麻田さんは、仏教の本質をよりたくさんの人に知ってもらうためのワークショップやイベントを開きつつ、差別問題だったり、原発問題だったり、そういった社会的な活動に積極的に関わっていらっしゃるお坊さん。仏教に可能性を感じているからこそ、それをうまくいかした上で、日本で起きている問題を、活動を通して、自分も問うていくし、みんなにも問うていく、そんな方で。最後の、三浦さんは、まだ若い、女性のお坊さんなんですけど。25歳でお寺を継いで、音楽を通じて仏教を伝えるような活動をされている方。今回の映画では、女性のいのちに向き合うっていうか、自分の身体にいのちを身ごもって、いのちを生んでいく役割の女性の声、それを仏教者としてしっかり語ってくださって……。
―6人のお坊さんの活動を追ったこの映画で、監督が一番伝えたいことってどんなところなんでしょう?
後藤:「これを感じて欲しい」っていうのは、実は、あんまりないんですよ。ただ、希望というか、願いはありますけどね。やっぱり、見てくださった方々それぞれに感じることはあると思うんです。お坊さん面白いなあ、お寺行きたいなあってなる人もいれば、いや、あんまり、っていう人もいるでしょうし、でも、なんかよくわかんないけど、仏教にはなにかありそうだ……とか。でも、それぞれが、ちっちゃいことでも「感じた」っていうことに、すごく意味があると思うんですよ。それで、私自身がこの映画を撮りはじめて、どんどん仏教に関わっていく中で、とにかく、ものすごく、「可能性」っていうのかな、それを感じて。
―「可能性」ですか。
後藤:私たち人間って、日々、なんの問題もなく、ストレスも感じず、自然体で生きていけるかっていったら、なかなかそうはいかないわけじゃないですか。そんな中で、ブッダが遺した教えとか、それ以外の日本仏教のそれぞれの開祖が遺してきた教えを取り入れることによって、その生きづらさの中でも、ちょっと自分を助けてくれるような、「より良く生きる」ことへのヒントとなるものがあるなって、すごく思って。中には、きっと同じように感じたり、仏教、可能性があるかもしれないなって思ってくれたりする人もいるんじゃないかなって。