インタビュー 03

―逡巡されていた、と。

後藤:でも、久高の映画にしても、今回の作品にしても、なんでこれを作ったのか、って言ったら、やっぱり、この、私が生きている世の中が、というか地球が、自分が生きているうちに、少しでもより良くなればいいなっていう思いがあって。だから、作らない自分ではいられないというか。そうこうしているうちに、三浦明利さんと出会って、魅力的なお坊さんとの出会いも次々にあって、もう必然的に、仏教の映画を作る流れになってしまった、みたいな……。

―「運ばれていった」という感じでしょうか。

後藤:あと、やっぱり、「より良く」っていうところで言えば、実践っていう面で、仏教には、すごく分かりやすいものがあるなあ、と思っていて。個々の日常の中に生かしやすいというか。人間って、常に整った環境の中にいられるわけじゃなくて、いろんな状況に惑わされたりとか、体調悪かったりして崩れたりとか、あるじゃないですか。そういうときに、仏教は、立ち返る場所というか、なんか戻れる場所として機能してくれるなあって。私自身、その久高の映画を撮って公開した、体調的にも精神的にもスケジュール的にもしんどい一年間、かなり、仏教を拠りどころにしていたところがあったので。

「仏教」とひとくちに言っても、それこそいろいろあるわけですが、具体的に、どういう部分に、どんな風な魅力を感じられていたのでしょう?

後藤:自分の中では、曹洞宗の開祖、道元禅師の教えが、一番しっくりくるようなところがありましたね。多くを救う、というより、まずは自分がどう生きるか。道元さんの教えって、そういう部分が強い感じがするんですよ。これは、今の時代にも、活かしやすいんじゃないかなって。

―今回の映画の出演者も、6人中4人が曹洞宗のお坊さんですね。

後藤:いや、それは、本当に、結果的に、なんですよ。その宗派の人を探してっていう感じだったわけではまったくなくて、直感で「この人だ!」って思ったお坊さんを追っていったら、6人中4人が曹洞宗、あとの2人が浄土真宗のお坊さんだったっていう。

―それもご縁だったのですね。今回ご出演されている6人のお坊さんを、おひとりずつ、ご紹介願えますか。

後藤:ネルケ無方さんは、ドイツから日本にいらっしゃって、安泰寺っていうところのご住職になられたお坊さん。そこがまた面白くて、自給自足をしながら、檀家さんを持たないで、お坊さんだけで暮らしているっていうお寺なんですけど。2人目は藤田一照さん。一照さんは日本人だけど、その、のちにネルケさんがご住職になられる安泰寺で、若い頃、6年間修行されていて。それで、その後、アメリカの禅堂に坐禅を指導するために渡られて、18年間、そこで海外の方に禅をお伝えになっていた方。3人目は、日本から飛び出して、ドイツのベルリンで、実験的に禅生活を実践されている星覚さん。一般の方向けに坐禅指導をされたり、ベルリンの街中で托鉢をされたりされていて……。

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