―具体的にはどういう流れだったのでしょう?
後藤:天川さんは2回ゲストで出てくださったんですけど、そのときに、彼女が、「仏教、学んでみたら? おもしろいよ」みたいなことを言ってくださって。そのご縁で、2013年の年明けに、その天川さんをお迎えして、仏教講座みたいなのを開いたんです。少人数で。そこで、仏教が日本に入ってきてからの歴史的なことを学んで、あ、なんか面白いなあって思って。そのあとすぐ、2月か3月ぐらいに永平寺を訪れたんですよ。福井にある、曹洞宗の大本山。そこから奈良にも行って。唐招提寺とか、薬師寺とか。それで、なんかね、その現地に足を踏み入れると、次の縁につないでくれているような、呼ばれるようなことが起こるんですよね。うまく言えないけれど。
―ご縁って、そういうものかもしれませんね。
後藤:そんな形でどんどんつながって、広がっていって。その流れの中で、その年の5月に、今回の映画に出演してくださっている三浦明利さんっていうお坊さんの存在を知って。そのお坊さん、女性なんですけど、25歳で実家のお寺のご住職になって、そして音楽をやっていると。面白い方だな、と思って、ご本人にいきなりご連絡させていただいたんです。お会いして、直接お話をお伺いできませんか? って。そうしたらお返事がすぐにきて、その二日後にお会いできることになったんですね。それで、奈良まで行って、実際にお会いしてお話を伺ったのですが、彼女はそのとき、ちょうどお子さんをおなかに宿されていて。とても貴重なタイミングだったんです。だから、記録だけでも撮らせていただけませんか、ということで、撮影させていただいたんですね、急遽。そこからですね。今回の映画はそこからはじまりました。
―いきなりはじまってしまったわけですか(笑)
後藤:そう。だから、この映画の制作準備も、ものすごく入念にやっていたわけじゃなくて。三浦さんと出会った、で、お話をお伺いした、そして彼女は妊娠中だった。とにかく、そのときそのときの状況が、私を、記録を撮るという名の元の映像制作をするところに導いていった、導かれていった、っていう。
―では、本当に、「次は仏教の映画を撮ろう」と、明確に決めていたわけじゃなかったと。
後藤:そうですね。これもまた状況がそうさせたっていうか、そうなっていったというか。だから、実を言うと、2012年、久高の映画を撮り切って、世に送り出して、もういいや、と思っていたんです、映画に関しては。次の構想っていうか、次またすぐ撮りたいっていうのは、実はまったくなかったんですけど。とにかく消耗していたから。でも、天川さんとのご縁もあるし、面白いお坊さんもたくさんいるなあって、仏教には、かなり興味を持ってはいて。で、今度、落ち着いたら仏教の映画を、とは思っていたのかな……。でも、もう、正直、疲れたなあって。それでも、自分がやれることって、やっぱり、映像を通してっていうところではあるから、っていう頭もあって……。