映画の冒頭に登場する鈴木俊隆・弟子丸泰仙という二人の師のお名前を知る日本人は少ないだろう。それぞれアメリカとヨーロッパに禅を普及させた師として西洋では有名で、仏教に関心を持つ人からよく聞く名前である。私たち多くの日本人の知らないところ―世界で、そして日本の中で、様々な仏教僧が、時には問題に直面しつつ、今この瞬間も、活動に励んでいる。それを日本に、世界に広く発信しようとするのが、このドキュメンタリー「Buddhist -今を生きようとする人たち-」である。
この作品のもっとも魅力的な点は、後藤サヤカ監督が、宗派やその教えに縛られることなく、取材した僧侶ひとりひとりの活動、振舞に触れて感じたこと、自分の感覚に忠実で、それを映像を通して表現しようとしているところだろう。それはとても重要なことで、なぜかというと、仏教というのは経典や宗派の規則の中に真理があるわけではなく、拈華微笑の故事に示されるように、その人の振舞に真理があらわれ、それを感じ取り身につけた人の振舞がさらに次の人に真理を示し、という形で伝えられる教えだからである。
(吉村均/公益財団法人中村元東方研究所専任研究員)
待望の後藤サヤカ監督作品「Buddhist -今を生きようとする人たち-」が完成した。沖縄の離島に残るアニミズムをテーマにした前作「はじまりの島」で、現代世界の抱える問題点の解答を探すその独特な視点と誠実な取材姿勢を貫いた後藤サヤカ監督から、次回作のテーマは仏教だと告げられた時、なるほど、と思った。そして、彼女らしい真摯な目線と誠実な取材姿勢は、その期待に十分応えてくれる作品を生み出した。
私見ではあるが、あらゆる点で行き詰まった現代社会を救えるのは、最早経済でもキリスト教のような一神教でもなく、唯一仏教ではないかと考えていた。しかしそれは、現在日本で広く認識される「仏教」ではない。それでは何か?このドキュメンタリー映画は、それを模索して今を生きる仏教徒たちの活動や生き様、作法を丹念に追いかけ、ディティールの中から宗派を超えた釈迦本来の教えである仏教の本質に迫ることで、その解答を私たちに暗示してくれる。
決して難しい映画ではない。所々挟まれた音楽だけのインターバルで、修行者たちの言葉の意味をじっくりと心の中で反芻できる構成もありがたい。
世界三大宗教の中で最も起源の古い仏教が、実はあらゆる時代にも錆びず、むしろ現代社会においてこそ最も有効な「救い」を内包していることに、世界の心ある人々は気づき始めている。知識としてではなく、日常の生活の軸として仏の教えを捉えようとしたこの映画を観ることで、「生きることの価値」を改めて感じていただければ幸いである。
(水澄げんごろう/映像作家・映画監督)
ずっと気になっていたことがある。
「日本には仏教を題材にした映画はあるが、なぜ宗祖を讃えた伝説的な作品ばかりなのだろう。現代社会を懸命に生きる日本僧侶を追いかけた方が、よほど仏教の本質が垣間見えるはずなのに。」そこへ聞こえてきた映画が後藤サヤカ監督の「Buddhist -今を生きようとする人たち-」である。宗教・宗派組織から依頼されたのではなく、あくまでも自発的に僧侶を追い始めた彼女のフラットな視点が、この映画に独自のリアリティを内包させている。
世界を見渡しても、日本の宗教界は非常に特異な性質を持ち得ている。日本仏教も世俗的な姿を揶揄される事が多いが、世俗に近いからこそ日本人の精神性を強く反映している。何よりも日本の仏教界は現在、長期的な信仰心の薄れに加え、少子化と法改正の影響を受け、大きな難局に差し掛かっている。鎌倉時代から800年も安泰を続けてきた日本仏教が、ここへきて急進的な変革を強いられているのだ。こんなにスリリングな状況を生きる僧侶たちを追うならば、当然、逼迫した彼らの姿を捉えることになる。そして、日本の僧侶自身が新たな存在価値を見つけだす、その瞬間に立ち会うことになる。
今を生きる姿を真摯に見つめれば、「宗教」の奥にある「信仰」が現れてくる。
(風間天心/美術家・僧侶)
この映画を観てまず痛感したのは、チラシにもあるように「あなたは今を、生きようとしていますか?」という問いを突きつけられたことだった。その眼差しが新鮮であり、魂の中の〈何か〉に火を灯されたような感覚さえあった。映像自体は、奇を衒うことなく、6人の僧侶達の日常が映し出されていく。坐り、念仏を唱え、田畑を耕し、料理を作って頂き、歌い、いのちを育み、社会を良き方向に変えようとする、それらすべての営みが今を生きようとする〈行〉に他ならない。それぞれの僧侶の生き様を通して、観る者一人一人に、今を生きる上での気づきやヒントを提供してくれる。後藤サヤカ監督自身も厳しい状況に身を置きながら、映画を産み出すという〈行〉に専心してこられた。だからこそ、この作品は深いレベルで〈いのち〉に響いてくる。
また、この映画の妙味は、観る者の心のあり方によって、記憶に強く残る言葉やシーンが大きく違ってくることだ。どんな映画にも、そういう要素はあるが、特にこの映画は顕著に思える。この映画を通して、実は自分の心を観ているのだ。今を意識し、真摯に生きることなくして、我々のより良き未来は拓かれない。それ故、何度観ても新たな気づき、より濃密な気づきへと繋がる。友人が語っていた「何度も観たくなる映画」という所以は、そこにあるに違いない。単なる仏教賛美ではなく、仏教という視点からの〈いのち〉への賛歌と言うべき映画である。
(合田秀行/日本大学教授)